クロちゃん物語
作・ユッコさん
僕は捨てられた。
僕は黒い雑種の雄犬!
ある8月の暑い日、僕の飼主お母さんは僕をさいたま市の三橋公園に繋いだんだ。
愛犬家が公園に入って行く道に。
僕のお母さんは僕を繋いで行ってしまった。僕はホンの冗談だろうと思ったんだ。
だけど・・・お母さんは僕を公園入口に繋ぐとさっさと行ってしまった。
『そっ そんな すぐ戻ってくるんでしょう・・・』
だけどその日お母さんは僕を迎えに来てはくれなかった。
お腹も空いて、喉も渇いて、僕は大声で鳴いたんだ。
『お母さん早く来て~どこに行ったの?』って。
だけど、その日お母さんは現れなかった。
その日は公園に繋がれたまま夜を迎えた。
僕はお腹も空いて怖いし眠れなかった。
夜中トイレもぎりぎりまで我慢した。
仕方なく、なるべく網から離れた所に用を足した。
朝になってもお母さんは現れなかった。
『お腹が空いたよ~!散歩もしたいよ~!』
僕は鳴いた。
オオ~ン オオ~ン
だけど・・・お母さんは帰ってこなかった。
次の日もその次の日もお母さんは帰ってこなかった。
夜、僕は怖くて怖くて眠れない。
お腹も空きすぎて、眠れない。
『怖いよ~!』
僕は何度も鳴いたんだ。
お母さんって呼んだ。
だけど、お母さんは戻ってこなかった。朝になった。
僕はお腹が空きすぎて、もう死ぬかもしれない!
それなのに、僕の前を幸せそうな犬が飼主さんに連れられて公園に入っていく。
僕は一人ぼっち・・・
もう三日もご飯を食べてない。
意識がもうろうとしてきた。
僕は力尽きて鳴く元気もでない・・・
僕は地面に顎をつけて動けない。
僕は何か悪いことをしたのかな?
僕はいけない子だったんだ!だから僕はここで一人ぼっちなんだ。
僕は痩せ細って、お尻には毛が一本もない。
お猿さんみたいにお尻が丸見え、膝から下の毛も抜けて、ボロボロだ。
体中痒くて、掻いても掻いてもおさまらない。
だからまた毛が抜けるだろう?
だから僕は益々醜い顔さ。
ウンチもオシッコもその辺で、酷かった。
散歩もたまにしかお母さんがしてくれないから、お母さんウンチだよって僕が吠えたからいけなかったんだね。きっと・・・
たまに散歩してくれると嬉しくてどんどん引っ張ってしまったから、僕は捨てられてしまったんだ。
今から僕引っ張るのをやめるから、お母さん迎えに来て。
一生のお願いだよ。
僕は疲れと空腹と恐怖で記憶が薄れそうになった。
でも、その時声がしたんだ。
「あれっ!まだこの犬繋がれている。きっと捨てられたんだよ。」
ワイワイガヤガヤ
気が付くと僕の前に見知らぬ子供達が立っていて、僕の事を話しているんだ。
僕は初めウワンウワンって吠えたんだ。
『僕に近づくなっ!』って。
だけど、その子供たちは僕に水を持ってきてくれたんだ!
僕は思い切り飲んだよ
ガブガブガブガブ
ああ、有難いって心からそう思ったよ!その子供たちは近くの中学生だった。
夕方になると、その子供たちの一人が僕の大好きなドッグフードを持ってきてくれたんだ。
アーッ、美味しい!何日ぶりのご飯だろう?
ガツガツガツガツ ぺろり!
ワーイ!ありがとう!
また夜になった。
怖い
また、一人ぼっち
『怖いよ!お母さん!』
僕は鳴いた、吠えた、呼んだ。
また朝になった。僕の前を幸せそうな犬たちが何匹も通る。
僕は一人ぼっち・・・淋しい・・・
僕も誰かに甘えたい。あの犬みたいに
振り返ってみれば、僕の人生で可愛がられた記憶がない。
いつも吠えるな!あっちへ行け!こっちへ行け!叩かれて、叩かれてでも僕は耐えてきた。
それしか方法がないから。
それしか知らないから。
それしか、生きる道がないから・・・
僕の顔は不細工。全身黒くて眼が吊り上がって怖い顔。声が大きくていつも殴られた。
でも、たまに餌がもらえるとそれだけで嬉しかった。
だけど僕の体の毛はあっちこっち抜けてしまっていた。
そして、僕は捨てられた。
信じていたお母さんから、捨てられた。
捨てられて4日がたった。
いつもの中学生の女の子がまた、水とドッグフードを持ってきてくれた。
一日一回だったけれど、僕にとってはご馳走だった。嬉しかった。
僕はその女の子のおかげで死なずにすんだ。
僕はその女の子を待つようになった。僕はその女の子が来ると嬉しくて、飛びついた。
女の子は僕を『ココ』と名付けた。
またここに居たから『ココ』だって!
でも僕は名前なんかどうでも良かった。
毎日餌が貰えればそれで良い。
捨てられてちょうど7日たった。
僕を名付けた女の子は、僕を繋がれていた棒から外してくれた!
僕はグングン引っ張った。
何処へ行くんでもいい。
とにかく、この場所から遠くへ行きたかった。
グングン引っ張った。力の限り引っ張った。
たどり着いたのは、女の子の住むアパート。その女の子はお母さんと二人暮らしだった。
驚いたことに、アパートのドアを開けると、僕とまったく同じような真っ黒な犬がいた。
その犬は太っていた。その先輩犬は僕を見てとても怒っている。
『おまえ、何しに来た!出ていけ!ワンッワンッ』
僕は喧嘩しない!僕の頭の中には喧嘩をするDNAは無いんだ。
だから僕は絶対に喧嘩しない!
だから・・・僕をここにおいて下さい。
僕には行く所が無いのです。
その女の子とお母さんは言い合いになっている。
それも僕が原因みたいだ。僕は肩身が狭くなる。僕の事で喧嘩しないで・・・
フムフム、よく話を聞いてみると、この親子は二日後に新しいアパートに引越すらしい。
犬を一匹しか飼ってはいけないアパートに引越すのに、もう一匹拾ってきてどうするとお母さんが怒っていて、女の子は下を向いて泣いている。
『喧嘩をやめて!』僕は大声で吠えた。
翌日、僕は猿轡で口を塞がれた。
僕は塞がれた猿轡の中から、思いっきり吠えた。ヴァウ、ヴァウ。
引越しの日を迎えた。
一匹しか飼えないアパートで、僕がいる事が分かったら大変なトラブルになるからと、僕は隠される事になった。
なんと、灯油缶を入れるようなコンテナに入れられて、上からダンボールの板で蓋をされ、口には猿轡!死ぬかと思った。
僕は、引越し先のアパートの専用庭にそのまま置かれた。
近所の人々には、僕はいない事になっているらしい。
8月のこの暑さ!そして南向き!僕はイライラして、猿轡の中から思い切り吠えた。
『暑くて死んじゃうよ!』
僕が鳴きやんだその時、
「こんにちはー」
不動産屋のユッコさんが現れた。
僕はヴァンッ!ヴァンッ!ダンボールの板をけ破って思い切り吠えてやった。
「キャーッ!」
どうだ、怖いだろう!
ユッコさんは飛びのいて驚いている。怖がっている。
『ヴァンッ!ヴァンッ!』
暑さでイライラしていたんだ、思い切り吠えてやる!
しばらくして、アパートのドアからお母さんが困った顔で出てきた。
「あらどうも、先程引越しが終わりました。」
ユッコさんは僕を見て「そうですか、ところで何ですかこの犬。この子が全然吠えないという犬ですか?」と言い、
お母さんは「違います、この犬じゃありません。」と答えた。
「では、許可した犬はどこですか?」とユッコさんが尋ねると、
「ハイ!これです」と玄関からあの太った先輩犬を連れて見せている。
「じゃあ、この犬は何なんですか?」と聞かれて、
お母さんは「引っ越す2日前に娘が拾ってきてしまい、娘に泣かれたのですが明日の午前中に保健所が引き取りに来る事になっているのです。」と答えた。
『えぇっ!僕は保健所に行くの?』
僕は泡を飛ばしながら思い切り吠えた!すると、
「そんなのダメですよ。どうしてすぐに生物を保健所になんて出すのですか?それに、こんな酷い飼い方をして!あなたもこの暑い中で毛皮を着て猿轡して、このコンテナの中に入ってみて下さい!暑くてすぐに死んでしまいますよ!」とユッコさんは怒った。
『そうだそうだ!僕は暑くて死にそうなんだ!』
ヴァンッ!ヴァンッ!
この時は、まさかユッコさんが僕を飼ってくれるなんて思ってもいなかった。
ただ、僕はこの暑さから逃れたくて。
とても気が立っていた僕は牙を剥いて吠えまくった。
ユッコさんは帰ってしまった。
「なんだ、ここから出して助けてくれるのかと思ってたのにダメか。吠えまくった僕の迫力に負けたんだろう!」
そう考えていた。
5分もしないうちにユッコさんが戻ってくるまでは。
ユッコさんは、僕が今まで見た事も味わった事もないような美味しい物を持ってきた。
「はいっ!」
『美味しい!何これ?』
パクパク、パクパクと食べ終えると、ユッコさんは次々僕に差し出してくれる。
僕は吠えるのも忘れて、ただその美味しい物に食らいついた。
それはソーセージという物なんだって、僕は後から知ることになる。
とにかく、それで僕は一ころでユッコさんに落ちてしまったのさ。
ユッコさんの家は3階建の小さなビルで、僕を飼える場所なんてなかった。
それで、ユッコさんは会社の裏のアパートの大家さんに聞いたんだ。
「また犬を拾ってきてしまったので、アパートの隅に置かせて頂けませんか?」
大家さんは「良いですよ。但し、他の住民の方に挨拶をしておいて下さいね。アパートの住民に絶対に迷惑を掛けない様にお願い致します。」と言って、許可を出してくれた。
ユッコさんは大きな梨を沢山買って、アパートの住人に1軒ずつ挨拶に回っていた。
それは全部僕の為だったけれど、当時はそんな事知らなかった。周りの事なんて全く見えていなかったんだ。
僕はこの先どうなるんだろうって、気にかける事もできないほど毎日不安に駆られていたから。
その日から、僕はムーンヒル大成という古いアパートの隅に移り住む事になったんだ。
とりあえず、暑いコンテナ生活からは脱出できたのさ。
ある日、ユッコさんが何処からか犬小屋を持ってきて、僕に入る様に言った。
犬小屋に入ると、僕は少し懐かしい気持ちになった。
前にもこんな犬小屋に入っていた気がする。昔の思い出がよみがえる。
僕を置いていってしまったお母さんは元気でいるのかな。
会いたいなぁ。
そして、僕は犬小屋に入るようになったけれど、ふと怖くなってしまう。
なぜだか分からないけれど不安になってしまって、ワンワンと大声で鳴いてしまうんだ。
そうすると、ユッコさんは困った顔をしてやって来る。
時には怒ったり、時には僕の大好きな牛乳を持ってきてくれたり。
だけど、お天道様と一緒に起きるのが自然だから、朝5時頃になると僕は起きてしまう。少しは我慢できるけれど、6時頃にはトイレに行きたくなるし、ご飯も食べたいし、不安になるしでまた大声で吠えてしまうんだ。
そんな時でも、朝に弱いのを我慢して、ユッコさんはヨロヨロした足取りをしながらも散歩に連れて行ってくれた。
散歩が終わって繋がれると、また僕は吠えてしまうんだけれどね。
僕の声が大きいのは僕のせいじゃない。僕のお父さんとお母さんのおかげだよ。
お父さんとお母さんは知らないけれど、僕のせいじゃないんだ。
だけど、苦情が来てしまった。
ムーンヒルのアパートじゃなくて、少し離れた別のマンションから。
声が大きいのは僕のせいじゃないのに、みんな分かってくれないんだ。
そんなわけで、ユッコさんは自分のビルの2階、外階段の踊り場に犬小屋を移動させた。
そこに移ってから、僕は少し落ち着くことができた。
何かあったら、ユッコさんがすぐ来てくれたから。
ご飯はきちんと朝夕たっぷり食べられるし、散歩もたくさんしてくれるし、
ユッコさんの会社の人も僕のことをクロ、クロって可愛がってくれて、
僕は初めて嬉しい気分になった。
そして、僕の名前は『クロ』に決まった。
今はもう、お腹が空きすぎて背中とお腹がくっついちゃうよ~って心配もなくなったし、
トイレも一日2回、必ず行ける。
それに、ユッコさんは散歩の間中、
「クロ可愛いね!良い子良い子。可愛いねぇ」って呪文のように言ってくれるんだよ。
散歩は40分、その間ずーっとね!
僕は昔の癖が治らなくて、グングン力任せに引っ張ってしまう。
すると、ユッコさんはいけないと綱を引きながら、「よーし、良い子良い子、クロ可愛いね」って言うんだ。
そんな風に褒められ続けているうちに、僕はユッコさんの言う通り、
良い子なんじゃないかと思うようになってきた。
生まれてこの方、『可愛い』『良い子』なんて言われることのなかった僕は、
最初はどんな意味なのか分からなかった。
だけど、ユッコさんは散歩が終わると僕の体を全部綺麗に拭いてくれて、また僕を褒めてくれる。
「クロちゃんクロちゃん、どうしてこんなに可愛いの~」
なんて言うもんだから、誰だって悪い気はしないでしょう?
そんなわけで、僕の毛並みはどんどん良くなっていった。
お猿さんみたいに丸見えだったお尻の毛も、抜けてボロボロだった足の毛も全部生えて、
背中もお腹も頭も尻尾もピカピカのフサフサさ。
今じゃ散歩していると知らない人が寄ってきて、綺麗な犬ですねって言われるようにまでなったんだ。この間なんて、中学生くらいの女の子が数人追いかけてきて
『かっこいい犬』だって!僕はビックリしたよ。
今の僕には不安や心配が全くなくなった。
月一度のシャンプー・カットだって、じっと耐えてやってやる。
ドッグサロンは嫌いだけど・・・
僕は決めた。
僕は生まれて初めて心が安らいだ。ユッコさんは絶対に僕を捨てない。
だから僕は、ユッコさんを守るんだ。
2階に怪しい奴が上がってきても、ユッコさんの住む3階までは絶対に上がらせないぞ!
ヴァン!ヴァン!ヴァン! ヴァンッ!!思いっきり吠えてやるんだ!
だけどユッコさんが「クロ、良いのよ」って言ったら、やめる。
僕はユッコさんを困らせない。もっともっと良い子になって、ユッコさんに尽くすんだ。
僕はユッコさんの言う通り、
世界一可愛くて世界一良い子なんだから。
僕は、生まれてきて本当に良かった。
そう思って、毎日幸せに生きている。
今までの人生、いや犬生は辛い事が多かった様に思う。
だけど、今思えばすべてはユッコさんに出会うための苦労だったと思える。
神様に今の幸せを貰うための道筋だったのだと。
だからこそ僕は、昔の辛かった生活も、捨てられて泣いていた日々にも、
すべての経験に感謝している。
すべての事に感謝している。
クロ
作・ユッコさん
僕は捨てられた。
僕は黒い雑種の雄犬!
ある8月の暑い日、僕の飼主お母さんは僕をさいたま市の三橋公園に繋いだんだ。
愛犬家が公園に入って行く道に。
僕のお母さんは僕を繋いで行ってしまった。僕はホンの冗談だろうと思ったんだ。
だけど・・・お母さんは僕を公園入口に繋ぐとさっさと行ってしまった。
『そっ そんな すぐ戻ってくるんでしょう・・・』
だけどその日お母さんは僕を迎えに来てはくれなかった。
お腹も空いて、喉も渇いて、僕は大声で鳴いたんだ。
『お母さん早く来て~どこに行ったの?』って。
だけど、その日お母さんは現れなかった。
その日は公園に繋がれたまま夜を迎えた。
僕はお腹も空いて怖いし眠れなかった。
夜中トイレもぎりぎりまで我慢した。
仕方なく、なるべく網から離れた所に用を足した。
朝になってもお母さんは現れなかった。
『お腹が空いたよ~!散歩もしたいよ~!』
僕は鳴いた。
オオ~ン オオ~ン
だけど・・・お母さんは帰ってこなかった。
次の日もその次の日もお母さんは帰ってこなかった。
夜、僕は怖くて怖くて眠れない。
お腹も空きすぎて、眠れない。
『怖いよ~!』
僕は何度も鳴いたんだ。
お母さんって呼んだ。
だけど、お母さんは戻ってこなかった。朝になった。
僕はお腹が空きすぎて、もう死ぬかもしれない!
それなのに、僕の前を幸せそうな犬が飼主さんに連れられて公園に入っていく。
僕は一人ぼっち・・・
もう三日もご飯を食べてない。
意識がもうろうとしてきた。
僕は力尽きて鳴く元気もでない・・・
僕は地面に顎をつけて動けない。
僕は何か悪いことをしたのかな?
僕はいけない子だったんだ!だから僕はここで一人ぼっちなんだ。
僕は痩せ細って、お尻には毛が一本もない。
お猿さんみたいにお尻が丸見え、膝から下の毛も抜けて、ボロボロだ。
体中痒くて、掻いても掻いてもおさまらない。
だからまた毛が抜けるだろう?
だから僕は益々醜い顔さ。
ウンチもオシッコもその辺で、酷かった。
散歩もたまにしかお母さんがしてくれないから、お母さんウンチだよって僕が吠えたからいけなかったんだね。きっと・・・
たまに散歩してくれると嬉しくてどんどん引っ張ってしまったから、僕は捨てられてしまったんだ。
今から僕引っ張るのをやめるから、お母さん迎えに来て。
一生のお願いだよ。
僕は疲れと空腹と恐怖で記憶が薄れそうになった。
でも、その時声がしたんだ。
「あれっ!まだこの犬繋がれている。きっと捨てられたんだよ。」
ワイワイガヤガヤ
気が付くと僕の前に見知らぬ子供達が立っていて、僕の事を話しているんだ。
僕は初めウワンウワンって吠えたんだ。
『僕に近づくなっ!』って。
だけど、その子供たちは僕に水を持ってきてくれたんだ!
僕は思い切り飲んだよ
ガブガブガブガブ
ああ、有難いって心からそう思ったよ!その子供たちは近くの中学生だった。
夕方になると、その子供たちの一人が僕の大好きなドッグフードを持ってきてくれたんだ。
アーッ、美味しい!何日ぶりのご飯だろう?
ガツガツガツガツ ぺろり!
ワーイ!ありがとう!
また夜になった。
怖い
また、一人ぼっち
『怖いよ!お母さん!』
僕は鳴いた、吠えた、呼んだ。
また朝になった。僕の前を幸せそうな犬たちが何匹も通る。
僕は一人ぼっち・・・淋しい・・・
僕も誰かに甘えたい。あの犬みたいに
振り返ってみれば、僕の人生で可愛がられた記憶がない。
いつも吠えるな!あっちへ行け!こっちへ行け!叩かれて、叩かれてでも僕は耐えてきた。
それしか方法がないから。
それしか知らないから。
それしか、生きる道がないから・・・
僕の顔は不細工。全身黒くて眼が吊り上がって怖い顔。声が大きくていつも殴られた。
でも、たまに餌がもらえるとそれだけで嬉しかった。
だけど僕の体の毛はあっちこっち抜けてしまっていた。
そして、僕は捨てられた。
信じていたお母さんから、捨てられた。
捨てられて4日がたった。
いつもの中学生の女の子がまた、水とドッグフードを持ってきてくれた。
一日一回だったけれど、僕にとってはご馳走だった。嬉しかった。
僕はその女の子のおかげで死なずにすんだ。
僕はその女の子を待つようになった。僕はその女の子が来ると嬉しくて、飛びついた。
女の子は僕を『ココ』と名付けた。
またここに居たから『ココ』だって!
でも僕は名前なんかどうでも良かった。
毎日餌が貰えればそれで良い。
捨てられてちょうど7日たった。
僕を名付けた女の子は、僕を繋がれていた棒から外してくれた!
僕はグングン引っ張った。
何処へ行くんでもいい。
とにかく、この場所から遠くへ行きたかった。
グングン引っ張った。力の限り引っ張った。
たどり着いたのは、女の子の住むアパート。その女の子はお母さんと二人暮らしだった。
驚いたことに、アパートのドアを開けると、僕とまったく同じような真っ黒な犬がいた。
その犬は太っていた。その先輩犬は僕を見てとても怒っている。
『おまえ、何しに来た!出ていけ!ワンッワンッ』
僕は喧嘩しない!僕の頭の中には喧嘩をするDNAは無いんだ。
だから僕は絶対に喧嘩しない!
だから・・・僕をここにおいて下さい。
僕には行く所が無いのです。
その女の子とお母さんは言い合いになっている。
それも僕が原因みたいだ。僕は肩身が狭くなる。僕の事で喧嘩しないで・・・
フムフム、よく話を聞いてみると、この親子は二日後に新しいアパートに引越すらしい。
犬を一匹しか飼ってはいけないアパートに引越すのに、もう一匹拾ってきてどうするとお母さんが怒っていて、女の子は下を向いて泣いている。
『喧嘩をやめて!』僕は大声で吠えた。
翌日、僕は猿轡で口を塞がれた。
僕は塞がれた猿轡の中から、思いっきり吠えた。ヴァウ、ヴァウ。
引越しの日を迎えた。
一匹しか飼えないアパートで、僕がいる事が分かったら大変なトラブルになるからと、僕は隠される事になった。
なんと、灯油缶を入れるようなコンテナに入れられて、上からダンボールの板で蓋をされ、口には猿轡!死ぬかと思った。
僕は、引越し先のアパートの専用庭にそのまま置かれた。
近所の人々には、僕はいない事になっているらしい。
8月のこの暑さ!そして南向き!僕はイライラして、猿轡の中から思い切り吠えた。
『暑くて死んじゃうよ!』
僕が鳴きやんだその時、
「こんにちはー」
不動産屋のユッコさんが現れた。
僕はヴァンッ!ヴァンッ!ダンボールの板をけ破って思い切り吠えてやった。
「キャーッ!」
どうだ、怖いだろう!
ユッコさんは飛びのいて驚いている。怖がっている。
『ヴァンッ!ヴァンッ!』
暑さでイライラしていたんだ、思い切り吠えてやる!
しばらくして、アパートのドアからお母さんが困った顔で出てきた。
「あらどうも、先程引越しが終わりました。」
ユッコさんは僕を見て「そうですか、ところで何ですかこの犬。この子が全然吠えないという犬ですか?」と言い、
お母さんは「違います、この犬じゃありません。」と答えた。
「では、許可した犬はどこですか?」とユッコさんが尋ねると、
「ハイ!これです」と玄関からあの太った先輩犬を連れて見せている。
「じゃあ、この犬は何なんですか?」と聞かれて、
お母さんは「引っ越す2日前に娘が拾ってきてしまい、娘に泣かれたのですが明日の午前中に保健所が引き取りに来る事になっているのです。」と答えた。
『えぇっ!僕は保健所に行くの?』
僕は泡を飛ばしながら思い切り吠えた!すると、
「そんなのダメですよ。どうしてすぐに生物を保健所になんて出すのですか?それに、こんな酷い飼い方をして!あなたもこの暑い中で毛皮を着て猿轡して、このコンテナの中に入ってみて下さい!暑くてすぐに死んでしまいますよ!」とユッコさんは怒った。
『そうだそうだ!僕は暑くて死にそうなんだ!』
ヴァンッ!ヴァンッ!
この時は、まさかユッコさんが僕を飼ってくれるなんて思ってもいなかった。
ただ、僕はこの暑さから逃れたくて。
とても気が立っていた僕は牙を剥いて吠えまくった。
ユッコさんは帰ってしまった。
「なんだ、ここから出して助けてくれるのかと思ってたのにダメか。吠えまくった僕の迫力に負けたんだろう!」
そう考えていた。
5分もしないうちにユッコさんが戻ってくるまでは。
ユッコさんは、僕が今まで見た事も味わった事もないような美味しい物を持ってきた。
「はいっ!」
『美味しい!何これ?』
パクパク、パクパクと食べ終えると、ユッコさんは次々僕に差し出してくれる。
僕は吠えるのも忘れて、ただその美味しい物に食らいついた。
それはソーセージという物なんだって、僕は後から知ることになる。
とにかく、それで僕は一ころでユッコさんに落ちてしまったのさ。
ユッコさんの家は3階建の小さなビルで、僕を飼える場所なんてなかった。
それで、ユッコさんは会社の裏のアパートの大家さんに聞いたんだ。
「また犬を拾ってきてしまったので、アパートの隅に置かせて頂けませんか?」
大家さんは「良いですよ。但し、他の住民の方に挨拶をしておいて下さいね。アパートの住民に絶対に迷惑を掛けない様にお願い致します。」と言って、許可を出してくれた。
ユッコさんは大きな梨を沢山買って、アパートの住人に1軒ずつ挨拶に回っていた。
それは全部僕の為だったけれど、当時はそんな事知らなかった。周りの事なんて全く見えていなかったんだ。
僕はこの先どうなるんだろうって、気にかける事もできないほど毎日不安に駆られていたから。
その日から、僕はムーンヒル大成という古いアパートの隅に移り住む事になったんだ。
とりあえず、暑いコンテナ生活からは脱出できたのさ。
ある日、ユッコさんが何処からか犬小屋を持ってきて、僕に入る様に言った。
犬小屋に入ると、僕は少し懐かしい気持ちになった。
前にもこんな犬小屋に入っていた気がする。昔の思い出がよみがえる。
僕を置いていってしまったお母さんは元気でいるのかな。
会いたいなぁ。
そして、僕は犬小屋に入るようになったけれど、ふと怖くなってしまう。
なぜだか分からないけれど不安になってしまって、ワンワンと大声で鳴いてしまうんだ。
そうすると、ユッコさんは困った顔をしてやって来る。
時には怒ったり、時には僕の大好きな牛乳を持ってきてくれたり。
だけど、お天道様と一緒に起きるのが自然だから、朝5時頃になると僕は起きてしまう。少しは我慢できるけれど、6時頃にはトイレに行きたくなるし、ご飯も食べたいし、不安になるしでまた大声で吠えてしまうんだ。
そんな時でも、朝に弱いのを我慢して、ユッコさんはヨロヨロした足取りをしながらも散歩に連れて行ってくれた。
散歩が終わって繋がれると、また僕は吠えてしまうんだけれどね。
僕の声が大きいのは僕のせいじゃない。僕のお父さんとお母さんのおかげだよ。
お父さんとお母さんは知らないけれど、僕のせいじゃないんだ。
だけど、苦情が来てしまった。
ムーンヒルのアパートじゃなくて、少し離れた別のマンションから。
声が大きいのは僕のせいじゃないのに、みんな分かってくれないんだ。
そんなわけで、ユッコさんは自分のビルの2階、外階段の踊り場に犬小屋を移動させた。
そこに移ってから、僕は少し落ち着くことができた。
何かあったら、ユッコさんがすぐ来てくれたから。
ご飯はきちんと朝夕たっぷり食べられるし、散歩もたくさんしてくれるし、
ユッコさんの会社の人も僕のことをクロ、クロって可愛がってくれて、
僕は初めて嬉しい気分になった。
そして、僕の名前は『クロ』に決まった。
今はもう、お腹が空きすぎて背中とお腹がくっついちゃうよ~って心配もなくなったし、
トイレも一日2回、必ず行ける。
それに、ユッコさんは散歩の間中、
「クロ可愛いね!良い子良い子。可愛いねぇ」って呪文のように言ってくれるんだよ。
散歩は40分、その間ずーっとね!
僕は昔の癖が治らなくて、グングン力任せに引っ張ってしまう。
すると、ユッコさんはいけないと綱を引きながら、「よーし、良い子良い子、クロ可愛いね」って言うんだ。
そんな風に褒められ続けているうちに、僕はユッコさんの言う通り、
良い子なんじゃないかと思うようになってきた。
生まれてこの方、『可愛い』『良い子』なんて言われることのなかった僕は、
最初はどんな意味なのか分からなかった。
だけど、ユッコさんは散歩が終わると僕の体を全部綺麗に拭いてくれて、また僕を褒めてくれる。
「クロちゃんクロちゃん、どうしてこんなに可愛いの~」
なんて言うもんだから、誰だって悪い気はしないでしょう?
そんなわけで、僕の毛並みはどんどん良くなっていった。
お猿さんみたいに丸見えだったお尻の毛も、抜けてボロボロだった足の毛も全部生えて、
背中もお腹も頭も尻尾もピカピカのフサフサさ。
今じゃ散歩していると知らない人が寄ってきて、綺麗な犬ですねって言われるようにまでなったんだ。この間なんて、中学生くらいの女の子が数人追いかけてきて
『かっこいい犬』だって!僕はビックリしたよ。
今の僕には不安や心配が全くなくなった。
月一度のシャンプー・カットだって、じっと耐えてやってやる。
ドッグサロンは嫌いだけど・・・
僕は決めた。
僕は生まれて初めて心が安らいだ。ユッコさんは絶対に僕を捨てない。
だから僕は、ユッコさんを守るんだ。
2階に怪しい奴が上がってきても、ユッコさんの住む3階までは絶対に上がらせないぞ!
ヴァン!ヴァン!ヴァン! ヴァンッ!!思いっきり吠えてやるんだ!
だけどユッコさんが「クロ、良いのよ」って言ったら、やめる。
僕はユッコさんを困らせない。もっともっと良い子になって、ユッコさんに尽くすんだ。
僕はユッコさんの言う通り、
世界一可愛くて世界一良い子なんだから。
僕は、生まれてきて本当に良かった。
そう思って、毎日幸せに生きている。
今までの人生、いや犬生は辛い事が多かった様に思う。
だけど、今思えばすべてはユッコさんに出会うための苦労だったと思える。
神様に今の幸せを貰うための道筋だったのだと。
だからこそ僕は、昔の辛かった生活も、捨てられて泣いていた日々にも、
すべての経験に感謝している。
すべての事に感謝している。
クロ